短歌で随筆

一日一首、紹介&雑感。『フリックでコラム』の副ブログです。

カテゴリ: オリジナル

目の前で人と車が衝突をしそうになった 死の瀬が見えた/しゅろ

右折してきた車が、普通に横断歩道を渡っていた人を轢きそうになる瞬間を見た。

誰がどう見ても車が悪かったが、歩行者がたまたま外国人だったこともあってか、すみませんも怒りの表明もなく、そのまま終わった。

やっぱり車は怖いと思ったし、いつどこで死が姿を見せるのかわからないものだ。しかしこの日のことも、すぐに忘れてしまうのだろう。

我々は常日頃から、死と隣合わせで生きている。自覚がないのは、いちいち気にしていたら生きていけないからに過ぎない。死を感じることで、翻って生のあり方に気がつく。そういうものである。

賞味期限一年過ぎた缶ビール開けて注いで匂って舐めて/しゅろ

大のビール党である私は、ビールに賞味期限があることを知らなかった。

ビールの賞味期限は製造月から8ヶ月。買った瞬間から飲んでいく私にそれだけの猶予は必要ない。

この一年宴会がなかったせいで備蓄していたビールが賞味期限切れに。アルコールなんて腐らないだろうと、思わず貰い受けたのだ。そして冒頭の歌。

飲んだら感想言いますねと大見得を切ったが、いざとなるとおそるおそる。このあとどうなったかはご想像にお任せします。

かようにも切なくきこゆモーツァルト疲弊しきった我がたましひに/しゅろ

仕事でつらめな昨今。モーツァルトのピアノソナタを聴いていて、冷えて固くなった心が少しずつほぐれていくような気持ちになった。

モーツァルトの音楽は人の心の動きと似ている。たとえ明るい基調の音楽であっても、ふいに不安なメロディが現れたり、思い出したように別のメロディに変わったり。どんな人間にも明るいだけの人、暗いだけの人はいないように、モーツァルトの音楽は、明るい音楽の中に死を匂わせ、暗い音楽の中に救いを与える。

実にくだらない日々を送っているが、聴きたいときにいつでもモーツァルトを取り出せる今という時代に感謝したい。切り替えて、また頑張ろう。

ワイヤレスイヤホンで聴く天上の調べは未だ天上にあり/しゅろ

久しぶりにモーツァルトを聴いている。かつて聴いていたときよりも沁み渡っており、特にクラリネット五重奏の至高を再認識した。

ガチなクラシックファンには怒られてしまうかもしれないが、私はわりと聴ければなんでもいいと思ってしまうタイプだ。もともとオーケストラにもいたので、そもそも生演奏には敵わないというベースがある。オーディオ機器を揃えるほどに良い音楽になるのはわかっているが、あとは割り切りの問題だ。

そんなわけで、ワイヤレスイヤホンでもがんがんクラシックを聴く。モーツァルト晩年の傑作、クラリネット五重奏を流したのだが、あまりにも良すぎて泣きそうになった。歳を重ねるごとにこの曲が魂に響いてきている。聴くごとにこの世のものでなさがわかってきたのだろう。

モーツァルトの時代から250年。今や音楽は手元、耳元にある。それでも、モーツァルトの音楽は今でもはるか天上のものに感じるのである。

小口切りより難度な数珠つなぎ切りできる母のきゅうり食べたし/しゅろ


最近私は料理にはまっていて、いろんな料理を作っている。普段は適当なくせに変なところで几帳面な私は、切り方から分量や火加減まで徹底的にこだわるタイプ。多少面倒でも、みじん切りはきちんとみじん切りにするし、にんにくは弱火でじっくり炒めるのだ。

この点、我が母はまったくの無頓着で、お腹に入ればOKくらいに思っている節がある。ご飯は炊くたびに硬さが変わるし、タマネギに火があまり通っていないこともあった。

数珠つなぎ切りは私の造語。我が家のなまくら庖丁で、思い切りの良い母が高速切りをすると、見事につながったままの部位が発生する。丁寧に私がやろうとしても、狙ってできるものではない。

そんな母ともコロナ禍でしばらく会えていない。きゅうりを切っていたとき、あの数珠つなぎ切りがふっと思い出された。

概して思い出とは、マイナスの側面からやってくるものである。

このページのトップヘ