短歌で随筆

一日一首、紹介&雑感。『フリックでコラム』の副ブログです。

カテゴリ: 百人一首

忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな/儀同三司母

「いつまでも忘れない」なんて言葉も、遠い将来まで続くことは難しい。ならば今日を限りの命であったら良いのに。

幸せとは難しいもので、一番幸せな時だからこそ不安になってしまうということがある。不幸はもちろん嬉しくないが、せっかく幸せの絶頂にいるのに将来のことを考えてしまうのだから、なんと人間はかなしい生き物なのだろう。

この歌はまさに新婚ほやほやの時に作られたものだとか。こんな歌を作ってしまったら、あとは下る一方ではないか。自らフラグを立ててしまった作者の運命に思いを馳せる。

御垣守衛士の焚く火の夜は燃え昼は消えつつものをこそ思へ/大中臣能宣

夜は燃え、昼は物思いにふける恋の様子をビジュアルとして生き生きと表現したものだ。分かりやすいたとえであり、意味がとりやすい。

今を生きる我々にしても、昼と夜では別の顔を見せる人はたくさんいる。誰かが仕事の場と酒の席といった対比で違う側面を見たりすると、意外だったり、親近感が沸いたりするものだが、昔から夜はテンションが上がる時間帯だったのだろう。そこに合理的の理由はないだろうに、不思議である。

昼には消されてしまう御垣守の焚く火が、くすぶる思いを暗に表現する。百人一首に入る一首である。

みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ/藤原兼輔

瓶原を分けて(湧いて)流れる泉川、一体いつ見たか定かではないが、あの人を恋しく思うのだろう。

「わきて」、「いつみ」が掛かっている。

いつ見た(会った)かどうかの解釈については、会ったことがない出来事か、会ったけれど会ったことが嘘のような出来事かでいまだに決着がついていないようだ。

実は恋に恋しただけかもしれないが、相手が特定されていない分、普遍性を獲得した歌だということもできるだろう。

明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしきあさぼらけかな/藤原道信

夜が明けてもまた日が暮れることは知っているけれども、明け方が来るのは恨めしいものだ。

とても意味がとりやすい歌である。また逢えることはわかっていても、別れたくないということ。

あさぼらけの歌に「暮れる時間」を入れているのが斬新。百人一首のひとつである。

浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき/源等

風景に忍ぶ恋を重ねたもの。どろどろしがちな恋の歌だが、茅に紐付けるのは珍しい。

寂寥感が印象的な一首だ。

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