短歌で随筆

一日一首、紹介&雑感。『フリックでコラム』の副ブログです。

カテゴリ: 百人一首

難波江の芦のかりねのひとよゆゑみをつくしてや恋ひわたるべき/皇嘉門院別当

難波の芦の刈り根の一節ではないが、たった一夜の仮寝のために、澪標のごとく身を尽くすほど恋い焦がれなければいけないのでしょうか。三重にもわたる掛詞が光る。難波の風景と一夜限りの恋が見事に重ねられている。

難波の芦が「短いこと」の比喩になっている歌は百人一首の中にもう一首あったが、この時代お決まりのフレーズだったのだろう。今の時代でも、ネットスラングでは笑いのニュアンスを「草」と表記したりするものだが、みんなが使うことで言葉の意味はどんどん拡がっていくものなのだ。

さて、この記事をもって百人一首すべて取り上げたことになる。かつて丸暗記するものでしかなかった百人一首を、ひとつひとつじっくり見ていく体験はなかなか貴重だった。

誰にでもわかるような表現が好まれ、回りくどい表現が嫌われがちな今の時代、文芸や詩歌はますます窮地に追い込まれている印象だ。本来コミュニケーションツールとして使われていた和歌を見ていると、当事者しか知りようのない言い回しだったり、バックグラウンドを織り込んだ上での表現だったりと、特定の人だけに伝える目的で作られた歌がいかに多いかがわかる。

特定の人にだけ向けられた文章が、何百年も読み継がれるというところに、文芸の本質がある気がしている。もっとわかりやすく言うならば、SNSで万人に向けて発するような文章は、詩歌にはならないということである。

ともあれひとまずやりきったということで、これからは普通の短歌とオリジナルの二本立てでやっていこうと思う。変わらぬペースで続けていくので、当ブログにお出での際は「まだやってる」くらいの生暖かい感じで見守っていただけたら幸いである。

わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし/二条院讃岐
引潮のときでさえ海中に隠れていて見えない沖の石のように、私の袖は誰にも知られることなくいつも濡れています。

沖の石に寄せて思いを喩えている。なかなかに回りくどいが、当時としてもかなり新鮮だったようだ。

この一首で思い出したのは、中島みゆきの『命の別名』。この曲にこんな歌詞がある。

石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ
僕と生きてくれ

物に対して一緒に生きてくれなどと、あまりに突飛で驚いたものだが、元をたどれば百人一首でもやっていた手法なのかもしれない。

「私は人知れず泣いています」というだけなのに、あまりに奥深い詩歌の世界。だから短歌はやめられない。

夜もすがらもの思ふ頃は明けやらでねやのひまさへつれなかりけり/俊恵法師

恋に悩んで眠れなくなり、ついには寝室の隙間ですら冷たく見えるとする。どうやらかなり末期なようだ。

寝室の隙間が冷たい、という変わった比喩ではあるが、世界全体がモノクロームに見えるという例えのようなものだろうか。いつの時代も、恋の悩みは尽きないものである。

秋風にたなびく雲の絶え間よりもれ出づる月の影のさやけさ/藤原顕輔

意味は非常に取りやすい。たなびく、もれ出づる、さやけさといった言い回しが美しい。

中秋の名月は過ぎたが、今年の月も美しかった。
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夜の照明と変わらない明るさ。月の本気を見た気がする。

高砂の尾の上の桜咲きにけり外山の霞たたずもあらなむ/大江匡房

百人一首もこの歌で95首目となった。

このブログを立ち上げたとき、ひとつの目標だったのが百人一首をすべて取り上げること。一年は365日あるのだから一年あれば終わると思っていたが、案外時間がかかってしまった。

桜が咲いているのだから霞よ立たないでくれ、とするこの歌。こんなの百人一首にあったかと思ってしまったくらい、私が認識していなかった一首だ。知っていたら春の間に取り上げていた。

残り五つ。百首揃ったらまとめてひとつの記事にでもしてみようか。

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