短歌で随筆

一日一首、紹介&雑感。『フリックでコラム』の副ブログです。

2021年04月

雨の日の交差点スクランブルを渡り終へ逢ふべき人とはぐるる思ひ/小川真理子

スクランブルと聞いてすぐ思い浮かべるのは、渋谷の交差点だろう。

あれだけの人がなんの会釈も接触もないまま淡々とすれ違うだけの光景に、ありのままの「都会」を体現する場となっている。

人口の多さとは裏腹に、自分は独りであると感じがちな都会の姿を見せる一首である。

雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁/斉藤斎藤

道路を歩いていると、ときどきなんでこんなものが落ちているんだと思うようなこと、確かにある。

普通の人なら、なんだこれ、で記憶の彼方にやられるものを、わざわざ歌ったところにこの作品のおもしろさがある。

ぶちまけられたのり弁、いったいどんなシチュエーションでぶちまけられ、ぶちまけた人はどのような気持ちでそこを立ち去ったのか。気にしだすと、なかなかおもしろい。

そこに目を付けるか、とはっとさせられるような短歌である。

シリアルを匙もて掬ふ朝の卓 傍受おそるるごとく黙して/栗木京子

朝の食卓の様子。

CMで見るような明るく爽やかな朝など演出で、真の朝の姿はだいたいこの歌の通りだろう。

学校へ仕事へ。気怠さをなんとか押し殺しつつ、押し込むように食べるのが本当の朝。

バリバリと気の抜けた音をさせているのであろうシリアルというチョイスもまた、無言であることを引き立てているのだ。

逝く父をとほくおもへる耳底にさくらながれてながれてやまぬ/永井陽子

意識が頭ではなく別のところに流れている感覚、誰にでも経験があるのではないか。

混沌とした気持ちを表すのに、「耳底」を使うとはなんと斬新なことか。ながれて、のリフレインも心地よい。

今逝かんとする父を前に、作者も現世から解脱したかのような世界に入っているのが印象深い。

ぬ ぬぬぬ ぬぬぬぬぬぬぬ 蜚蠊ごきぶりは少しためらひ過よぎりゆきたり/宮原望子

動きをスペースで表現しているのがおもしろい。内容はちょっとアレだが。

ごきぶりの動きをこれほど的確に文字化したのは他に見たことがない。短歌という表現方法のはるかな可能性が感じられる一首だろう。

このページのトップヘ