短歌で随筆

一日一首、紹介&雑感。『フリックでコラム』の副ブログです。

2020年06月

感情のおもむくままに荒れゆけば青葉わか葉のなびき悲しも/岡井隆

荒れ狂う心と、ほとんど影響のない葉のなびき方の対比が、やり場のない若さのエネルギーをよく表している。

自分を振り返っても、どうしてあれだけ世間をナナメに見ていたのかしれない。とにかくなにもかもが気に入らないのに、なにもできないもどかしさ。若さとはそういうものだ、で片付けたくない何かがあった。

あなたも、あの頃の自分へ是非この歌を。

住の江の岸による浪よるさへや夢の通ひ路人めよくらむ/藤原敏行

住の江の岸に寄る波、その夜の夢での通い道さえ、人目を憚るのはなぜでしょうか。

寄ると夜が掛かっている。女性の立場で歌ったもので、通ってくる男性を波に喩えている。

夢でさえ通ってきてくれないと言われるなんて、相手の男性には気の毒な気もしなくはないが、それだけインパクトが与えられていないのだろう。

「夢の通り路」というロマンチックな表現が巧い、百人一首のひとつである。

キャベツのなかはどこへ行きてもキャベツにて人生のようにくらくらとする/渡辺松男

キャベツの形状を人生に例える斬新さがおもしろい。

実際にあの形を見つめてみると、どうしてあのような形をしているのか考えるだけでわけがわからなくなって、なんだか怖くなってくる。

考えてもみて欲しい。葉とは光合成をするために存在する。どうしてそれを内へ内へ重ねていくのか。まったくもって無意味なことではないか。

事実、今でもよくわかっていないらしい。あれだけ身近でよく知っている野菜のことですら、わからないことだらけ。まさに人生と一緒、ということだろう。

あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ/小野茂樹

夏にノスタルジーが似合うのはなぜだろう。

夏休みがあり、甲子園があり、帰省があり。永遠に続くと信じた、長く退屈なのにずっと浸かっていたかったあの日々。『涼宮ハルヒの憂鬱』とか、『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』とか、夏と永遠とかけがえのなさを紐付けた作品は数知れない。

「かぎりなき」「たつた一つの」は相反しているのに、なぜだか伝わってくるこの言語感覚がすごい。その表情は一瞬だが、そのひとつひとつは無限で無数の、どれもが大切な青春の思い出なのだ。

あさみどり花もひとつにかすみつつおぼろに見ゆる春の夜の月/菅原孝標女

薄緑色の空と桜の色がひとつになって、霞んでいる中に月が浮かんでいる。幻想的な春の情景描写が美しい。

「あさみどり」繋がりでもうひとつ。

あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな/明治天皇

こちらはうってかわってさっぱりと澄んだ「あさみどり」。澄みわたった大空のように広い心を持ちたいものだ、という意味。こちらもまた良い。

自作の歌にも取り入れてみたい「あさみどり」。綺麗な言葉である。

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