短歌で随筆

一日一首、紹介&雑感。『フリックでコラム』の副ブログです。

2020年05月

いちはつの花咲きいでて我が目には今年ばかりの春行かんとす/正岡子規

自身の死期を悟った作者が、これが最後の春になると思い歌ったもの。

春の定番「桜」でなく、「いちはつの花」に思いを寄せているのがにくい。

この際だから、いちはつ、調べてみると紫色の鮮やかな花。アヤメ科の多年草だそうだ。

梅に柿に藤にヘチマに薔薇に。正岡子規の文学には常に植物が出てくる。人がさほど気にとめないものを徹底的に観察する姿勢。短歌の素材はいたるところに転がっているということだろう。

人の世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ/若山牧水

私も酒が好きなほうである。

とはいえ、好きだと自覚しているからこそ、休日だけにしているし、嫌な気分を紛らわすために飲んだりはしない。

酒を飲まない人生になんのたのしみがあるのか、とまで言う牧水の歌はある意味潔い。いまの時代から言わせれば、アル中だったことは間違いないが、酒で死ぬなら本望と言わんばかりの態度には、もう好きにしてくださいとしか言えない。

中島らもの『今夜、すべてのバーで』というアル中を題材にした小説でもそうだったが、酒の旨さを伝えることに関しては、アル中の右に出る者がいない。酒に関して究極の表現を求めるには、アル中になるしかないのかもしれない。そう思わせるほど、中島らもの小説は素晴らしかったし、牧水の歌にしてもそうである。

髪ながき少女とうまれしろ百合に額は伏せつつ君をこそ思へ/山川登美子

『明星』において、与謝野晶子と双璧を成す歌人であった作者の代表作。与謝野晶子が外へ発する激しい思いを歌うなら、山川登美子は内に秘めた思いを歌う作風が特徴のようだ。

晶子と同じ男性(与謝野鉄幹)を愛してしまうという、嘘みたいな本当の話も、歌の意味合いをより深いものにする。

自身の魅力に自覚的でありながら、決して明かさぬ思いを歌に込めるつつましさがなんともいじらしい。

秘する恋における名歌である。

神田川の緋鯉にパンを投げている昼の休みのサラリーマンたち/大島史洋

サラリーマン川柳をもう少し文学的に表現してみた、といった感じの短歌。

つかの間の昼休みを使って、鯉にパンを放るサラリーマン。しかも複数。哀愁溢れる光景に、思わず涙も零れる。

コンビニのパンであろうことも哀しいし、鯉に癒しを求めているのも哀しい。

ただし、決して哀れだとは思わない。懸命に働くサラリーマンたちの、ありのままの姿であり、リアルな日常を感じる。

神田川といえば、南こうせつの名曲も連想する。どうもこの川は、「哀愁」とセットになりがちなようだ。

ただひとり吾より貧しき友なりき金のことにて交まじわり絶てり/土屋文明

金の貸し借りだけはするな、貸すくらいならやってしまえ、と言われて育った。子供ながらもこの言いつけの重みは強く感じたもので、大人になった今でも守り抜いている教えである。

金など幻想に過ぎないと理屈ではわかっているが、皆がその幻想を信じている以上、やはり並ならぬ魅力があるのは事実である。

親のおかげで、特に金に不自由することなく育った。「金がない」状態の本当のこわさ、不安、心理はわかっていないと思う。だからこそ、より一層敏感にならないといけないし、考えないといけないと思っている。金がすべてではないと言えるのは、そこそこ金がある状態の者のみが言える虚言だ。たかが金、されど金。ひとつ間違えば友を失うことにもなりかねない。悲しくも真理を歌ったものであろう。

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