短歌で随筆

一日一首、紹介&雑感。『フリックでコラム』の副ブログです。

2020年03月

寂しくてひとり笑えば卓袱台の上の茶碗が笑い出したり/山崎方代

『NHKにようこそ』というアニメを見た。引きこもりをテーマにした話で、非常にリアリティ溢れる良い作品だった。

印象的だったのは、主人公がひとりでいるときの圧倒的な寂しさだ。人と会うのはこわいが、ひとりにはなりたくない。自分でも矛盾していることはわかっているからこそ、ますます苦しくなる。

寂しさが極限に達すると、幻覚でも見えるようになるのだろうか。『NHKにようこそ』でも、冷蔵庫や電子レンジが語りかけてくるシーンが出てきたが、冒頭の歌にもそれに通じるものがある。

一周回って出てくる笑いというのが、あまりも寂しい。寂しさと笑いという、正反対なものを結びつけたことによる化学反応。素晴らしい着眼点であり、真理でもあろう。

嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな/西行

嘆けといって月が私に物思いをさせるのだろうか。いや、本当は恋のためであるのに、月にかこつけて止めどなく流れる私の涙よ。

百人一首の歌ではあるが、西行の歌にしてはイマイチ…という評価らしい。そこで、西行の別の歌も取り上げよう。

仏にはさくらの花をたてまつれ我が後の世を人とぶらはば

仏には桜の花を奉ってほしい。私の後世を弔ってくれる人がいるならば。

ねがはくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ

願うことは、桜の花の下で死にたい。釈迦が涅槃に入った二月の満月のころ。(実際に西行は2/16に亡くなったという。)

桜に対して尋常でない思いを感じとることができる。百人一首の中の一首よりも強い力を感じるので、個人的にはこちらのほうが良いと思うが、百人一首に入れるには少々色が強すぎたのかもしれない。

話は逸れるが、桜と死というと、梶井基次郎の『櫻の樹の下には』を思い出す。「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」と始まる一節はあまりにも有名だ。

こちらは、桜のあまりの美しさには理由があって、それと正反対なものが地面に埋まっているから、という作品。美し過ぎて不安になる、という心理はわからなくもない。とても短いので一度読んでみてもらいたい。

歌人も詩人も、感受性が強すぎて心配になってくる。良い作品をうみだすのも大変だと他人事ながら思ってしまうのであった。

花さそふあらしの庭の雪ならでふり行くものは我身なりけり/入道前太政大臣

春の嵐に誘われて雪のように降っているように見える庭。だが、本当にふりゆく(古る)のは自分自身ではないか。桜の降り積もる様を雪にたとえ、散りゆく様を我が身に振り替えている。

この歌について、『百人一首の世界』では、内容的に小野小町の歌を想起させる、としている。桜の散る様を我が身の衰えにたとえる点で共通するからだ。ついでに、「小町の方が内容形式ともにすぐれている」と締め括っているが、私もそう思う。

花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに/小野小町

桜の儚さと我が身の衰えのシンクロ度の高さは、こちらに軍配があがるだろう。「に」の音韻も巧いし、「ふる」は降る・古る、「ながめ」は眺め・長雨に掛かっている。

とはいえ、結局は好みの問題だ。厳選の上に成り立っている百人一首だが、どれが好き、どれが優れているなど、自分なりに見ていくのもおもしろい。丸暗記するよりも余程楽しく接することができるのではないか。お試しあれ。

三月のさくら 四月の水仙も咲くなよ永遠の越冬者たれ/福島泰樹

永遠の越冬者、この言葉が格好良い。

誰もが讃えたがる春のおとずれを拒否して、厳しい冬に挑み続けろと、熱いエールのようなメッセージを感じる。

さくらがなんだ、水仙がなんだと、自分自身を鼓舞するような一首。現代的でおもしろい。

大工ひとり
物置小屋にこもりゐて
冬さりにけり
臼をつくれる/三好達治

世の中はいよいよ一億総引きこもりの潮流となっている。

今はインターネットもあることだ。外に一歩も出なくとも、やれることは無限にあると言って良い。これを機にこもる楽しさが深められたら御の字だろう。

こもる、をテーマに一首。三好達治は詩人として有名だが、こんな歌も作っていたらしい。

冬のあいだずっとこもって何をやっていたのかと思えば、臼を作っていたのか。

「こもる」ことには消極的なイメージが付きまとうが、この歌では、クリエイティブなパワーを賛美しているし、ちゃっかり冬を乗りきってもいるし、これ以上なくこもる意義を引き出だしている。

普段からアウトドア派の方にとって、いまのこの時期は大変つらいかもしれないので、何日でも引きこもっていられる筆者からアドバイス。それは、なにかを作ることだ。テレビを見るだけ、ネットサーフィンするだけではどこかで飽きがくる。大工がひと冬かけてこもっていられたのも、臼を作り上げるというモチベーションがあったから。筆者の場合は、文章を書くことである。

なんでも良いので、なにかを作ろう。なにかに熱中しているうちに気がつけば、私達の「冬」もさっていくだろう。

このページのトップヘ