短歌で随筆

一日一首、紹介&雑感。『フリックでコラム』の副ブログです。

2019年12月

水玉のマグに珈琲みなぎらせ居間という名のアウェイに向かう/蒼井杏

居間をアウェイとする新鮮さ。水玉のマグはいつも使っているお気に入りに違いない。

なみなみ注ぐことをみなぎらせると表現していることからは、これから本腰を入れて何らかの作業にあたるのだろう。

明るい生活空間の中に、ポジティブなエネルギーを感じる。外来語のアクセントも良い。快活で元気が湧いてくる歌である。

まるがほしい。ちょっとあかるくなるような。タヒるをタピるにかえるかんじの。/西淳子

短歌投稿サイト『うたらば』よりご紹介。

テーマは「欲」。

「まるがほしい」との言葉通り、ひとつひとつが句点で区切られているおもしろさ。「タヒる」(=死ぬ)をまるひとつで「タピる」(=タピオカを飲む)に転じてしまう軽妙さ。形式面、内容面どちらを取っても巧い一首である。

タヒるもタピるも最近の造語だが、字面がこれだけ似ていてこうも意味が違うものかと思わされる。言葉に敏感な歌詠みならではの視点。大変素晴らしい作品だ。

誰をかもしる人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに/藤原興風

(皆亡くなってしまって)誰を友にすればよいのか。あの高砂の松も昔からの友ではないのだから。

先日、年配の方と酒の席を共にすることがあった。既にリタイアもされ、今は多少余裕のある時間の中で、趣味やプライベートを過ごされているとのこと。この年末年始も、高校時代の同級生で集まってわいわいやるようだ。

年を重ねてもずっと付き合いのある友がいるというのは、大変素敵なことだ。つい最近「同窓会に行きたくない人」が増えているという話題が盛り上がっているのを見た。確かに無理に参加するものではないこともまた事実だが、30年、40年経っても付き合いのあるクラスメイトが一人でも多くいることが理想ではある。しかしながら、仲間が多いほど別れも多くなる。長年を共にする人が多いほど、そのつらさも大きくなるに違いない。

ただ、その方に限っては大丈夫だ。私のような一回りも離れている者に対しても、サシで飲みに誘ってくれるような方。誰に対してもフラットで接していける柔軟性には頭が下がる思い。

その方のように、どれだけ年を重ねようとも、誰とでも開けた関係が築けるような人間でいたい。松は友達になってくれないし、なんて嘆いていないで。

新しき明日の来るを信ずといふ
自分の言葉に
嘘はなけれど――/石川啄木

「絶句」を言葉で表現してしまうという天才の技。言葉にならない絶望が見事としか言いようがない。

啄木の歌のすごさは、解釈が要らないところではないか。この歌の意味するところ、そのまんま過ぎてそのまんま伝わってくる。

輝ける未来を信じようと言い聞かせているのは啄木自身。暗い社会に対してなんとか前向きになろうとしている様が悲劇的ですらある。

いつの時代も重苦しく感じるときがある。そんな時、啄木の歌が心のよりどころになってくれる。

人間は予感なしに病むことあり癒れば楽しなほらねばこまる/斎藤茂吉

当たり前のことを言っているようで、やっぱり当たり前のことを言っている。頭の5,7,5で何か凄いことが始まる予感を持たせておいて、最後の7,7でたっぷりと当たり前のことを言う逆説的なおもしろさ。

どうしてわざわざこんな短歌を作ったのかとひとしきり首をひねったあとで、まあ確かになあ、と感じられたらそれで良いのだ。

短歌が「名言・格言」や崇高な詩などと違うのは、飾らなさにある。かっこいいことを言っているようで、誰でも作れそうなほどごく普通のことを言って終わるのもまた、短歌という媒体ならでは。

人間いつ病むかわからない。当たり前のようだけど、いざ自分が、というときは気がつかないもの。この歌を当たり前だと簡単に笑っていられるか、ふと我が身を振り返る。 

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