短歌で随筆

一日一首、紹介&雑感。『フリックでコラム』の副ブログです。

2019年11月

かずかずの苦痛きらめき長き夜を月射せば月の香魚あゆ
となりいる/前田透

「月の香魚」という字面が美しかったという理由でこの歌が目についた。

前半はkの音がリズムを整え、後半は月がふたつ、「射せば」と「いる」でリズムを取る。

見映えよし、リズムよし。さて意味は…というと、これがちょっと難しい。「苦痛きらめき」って、苦痛はきらめくものなのかと斬新だし、「月の香魚」ってなんだって感じだし、わざわざ改行して「となりいる」って、いるのか!?

この歌の意味を考えても仕方ないように思う。一度目を閉じ、この歌の持つ幻想的な風景・情景を思い浮かべ、深く考えずに感じよう。じっと待っていたら、月の香魚が見えてくる、はず。

苦痛をきらめくと結びつけた日本人、この人が始めてなのではないか。苦しく長い夜も、月の光が見せる幻想的な風景によって、きらきらと不思議な世界に変貌する。

理由を説明することができなくて大変申し訳ないのだが、この歌の持つ世界観、魔力にどうしようもなく惹かれてしまうのだ。

この孤独隠さんとしてひたすらにもみじもみじと書き連ねたり/干場しおり

どうしようもなくさびしいときってある。

インターネットで繋がっていても、テレビを付けていても、さびしいときはさびしい。なにもかもを放り出して、紙にひたすら書き付ける。

本当にさびしいときに「さびしい」とは書かないものだ。もみじ、もみじと意味もなく書き連ねる点がリアル。さらさらと雑に書いてしまえるひらがな三文字。

同作者によるさびしい短歌がどれも良くて、ここに並べておく。

〈いっせいに夜明け〉という日はないものかいつも誰かが泣いてるようで

別のわれどこか遠くで泣いておりちりりと胸が痛い真夜中

寝不足のまま秋風を受けしときふと寄りかかるひとりが欲しき

言えなくてペンギンのように哀しくてひこうき雲をひとり見ていた

いつもは一記事一首だけれども、今回はまとめて味わっていただきたい。

きみが十一月だったのか、そういうと、十一月は少しわらった/フラワーしげる

シュールな状況に笑ってしまう。

小説みたいな一節だけど、どこかおかしい。結局「十一月」さんってどんな人(?)なんだ。

お決まりの構文も、ちょっとずらすだけで一気に詩的になる。こんな短歌もありなんだなあと、非常にシンプルもインパクトの大きい一首。

中央線、南北線に東西線、どこへもゆけてどこへもゆかず/東直子

改めてこれら三つの路線が並んでいるのをみると、名前だけで縦横無尽に移動した気になれる。

地理感覚があまり良くない私は、辛うじて中央線がどこを通っているかわかるものの、南北線と東西線はさっぱりである。南北線に至ってはしばしば利用していたにもかかわらず。

「どこへもゆけてどこへもゆかず」の含みが印象的だが、これはどういうことなのだろう。中央線は言わずもがな、山手のど真ん中を突っ切る路線。南北線と東西線はそれほど詳しくないが、やはり都心を走る路線ということか。とすると、少し郊外に住んでいるものとしては、蚊帳の外というか、あまり関係がないというか、それが「どこへもゆかず」になっている…とか。そもそもこれは東京の話ではない可能性もある。

中央線、南北線、東西線という路線名の広がりに目をつけたおもしろさ。これらの路線を知らない人がどう感じるのかも聞いてみたい一首だ。

さらさらと鉛筆はしる音みちてひとはいふとも学校清し/小池光

学校が好きだったか嫌いだったか、私の場合、簡単には答えられない。

自意識が強すぎた学生時代。正直、平均的とはいえない日々を送っていたという自覚はあるし、苦痛とまではいかずとも、あまり楽しいものでもなかったと思う。それでも、過ぎ去ってしまったことはなにもかも懐かしく感じるのも事実で、戻りたいとは思わないが、美しい部分だけは記憶に残っている。

大人はすぐ、学校を「清い」、「爽やか」、「青春」と結びつける。しかし、学生当時だって毎日が混沌と倦怠の連続で、本質的には大人になった今とそれほど変わらない。

普通に解釈するならば、過ぎ去ったものに対する純粋な懐古だ。しかし穿った見方をするならば、誰だってありふれた学生生活を送っていたくせに大人になると一斉に有り難がる風潮を、「ひとはいふとも学校清し」と皮肉っているようにも読めなくない。

学生時代をどう過ごしていたかによって解釈が変わってきそうな一首。あなたはどうですか。

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