短歌で随筆

一日一首、紹介&雑感。『フリックでコラム』の副ブログです。

2019年11月

吾がために死なむと云ひし男らのみなながらへぬおもしろきかな/原阿佐緒

作者は美貌で知られたという。

「君のためなら死ねる」と言うような男ほどいまだにのうのうと生きているのだ、と歌う作者は、身をもってこの真実をつかんだのだろう。自嘲気味な内容で一見笑って流してしまいそうになるが、この一首が生まれるまでにどれほどの涙を流したか想像すると、非常に悲しい歌でもある。

百人一首にもこれに近い歌があって、私も好きな歌のひとつ。

忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな/右近

「忘れ去られる自分のことはどうでもいいが、一生愛すると神に誓ったあなたの命が心配でならないのです」と。

一時の衝動で簡単に「一生」をかけてしまう男の浅ましさを、女は冷静に見ているということだろうか。

こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう/枡野浩一

言葉にできないほどひどい一日がある。

そんな一日を、どう自分がまとめるかによって、自分の進む道、自分の生き方は変わってくるだろう。

自分がいけないんだ、自分のせいでこうなったんだ、と考える人もいれば、終わったんだしまあいいか、環境が悪い、誰かのせいだと考えて切り替える人もいる。

ポジティブに考えなさいなんていわれるが、そんなこといったってなかなか難しい。時々、なんにも感じていなさそうな人もみかけるが、あれはあれでひとつの防衛策なのだろうか。

どんなあすでもありうるだろう、とても前向きな考え方だ。その不幸や苦労が理不尽であればあるほど、突拍子もない幸運や好奇も起こりうると考えよう。

大きな共感を呼ぶ歌。ツイッターへの投稿がにあう歌な気がする。

手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲りて帰る/山崎方代

謎かけのような歌、摩訶不思議な歌、技巧が光る歌、語感が良い歌、いろいろ取り上げているが、たまにはこんな歌を。

そこに狙いやアピールなどなく、生活そのものがそのまま短歌になったようだ。

短歌は、他の詩歌よりも芸術度が問われないような気がする。生きることは歌うこと、そんな人々の生の言葉。「手のひらに豆腐」、「いそいそ」、「いつもの角」、誰にも当てはまりそうな(手のひらに豆腐は若干古いが)生活感がすごい。

あまりの飾り気のなさが一周回って、普遍性を獲得しているのだろう。

八重葎しげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり/恵慶

百人一首にある秋の歌はだいたい取り上げたと思っていたのだが、まだこれが残っていた。

相変わらず秋とはさびしいものらしい。これが冬になってしまえば、寒いことがかえってさびしさを感じさせなくなるのだろう。

気がつけば11月も最終週。朝晩は寒さを感じる日が増えた。ライトアップされた景色、澄んだ空気、なにかと冬は綺麗だが、いかんせん寒い。さびしさを感じているうちは華なのではないかと、早くも過ぎ行く秋を名残惜しく思う。

ねえ、きみを雪がつつんだその夜に国境を鯱はこえただろうか/正岡豊

昨日に引き続いて、夢と現実の境界のような独特の歌を。

そもそも鯱も想像上の生き物。どういう意味だろうと考えるよりも、歌の持つ雰囲気を味わいたい。

この歌は文法が独特だ。「ねえ、」と呼びかけから始まり、「雪がきみをつつんだ」をあえて「きみを雪がつつんだ」と入れ替え、「鯱は国境をこえただろうか」も「国境を鯱はこえただろうか」と入れ替えている。少し不自然な文法が話し言葉らしく、夢うつつで問いかけているような浮遊感を醸し出す。

良い感じのムードのなかでふとこの短歌を口ずさんでみたい。すごくお洒落なセリフになりそう、じゃない?

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