短歌で随筆

一日一首、紹介&雑感。『フリックでコラム』の副ブログです。

待つといふ一つのことを教へられわれ髪しろき老に入るなり/片山広子
アイルランド文学の翻訳や、芥川龍之介との親交など、華々しい活躍をしたという作者。

その本人をして、ひたすら「待つ」を教えられた人生だったと歌う。

後悔を感じることはなければ、そのことを誇っているわけでもない、自身のあるがままを歌いこんだ作品。

自身が老を自覚したとき、果たしてこのような境地に至れるのか、ふと考えてしまう。

何ごともかはりはてぬる世の中にちぎりたがはぬ星合のそら/建礼門院右京大夫

何もかもが変わってしまった世の中にあって、年に一度二つの星が逢うのは変わらないのだ。

七夕を歌ったもので一見とてもロマンチックではあるが、背後に世の中への諦めとも言える感情が感じ取れる。

織姫と彦星ですら一年に一回は逢えるのに自分は…。シンプルでいて奥が深い名歌である。

感情のおもむくままに荒れゆけば青葉わか葉のなびき悲しも/岡井隆

荒れ狂う心と、ほとんど影響のない葉のなびき方の対比が、やり場のない若さのエネルギーをよく表している。

自分を振り返っても、どうしてあれだけ世間をナナメに見ていたのかしれない。とにかくなにもかもが気に入らないのに、なにもできないもどかしさ。若さとはそういうものだ、で片付けたくない何かがあった。

あなたも、あの頃の自分へ是非この歌を。

住の江の岸による浪よるさへや夢の通ひ路人めよくらむ/藤原敏行

住の江の岸に寄る波、その夜の夢での通い道さえ、人目を憚るのはなぜでしょうか。

寄ると夜が掛かっている。女性の立場で歌ったもので、通ってくる男性を波に喩えている。

夢でさえ通ってきてくれないと言われるなんて、相手の男性には気の毒な気もしなくはないが、それだけインパクトが与えられていないのだろう。

「夢の通り路」というロマンチックな表現が巧い、百人一首のひとつである。

キャベツのなかはどこへ行きてもキャベツにて人生のようにくらくらとする/渡辺松男

キャベツの形状を人生に例える斬新さがおもしろい。

実際にあの形を見つめてみると、どうしてあのような形をしているのか考えるだけでわけがわからなくなって、なんだか怖くなってくる。

考えてもみて欲しい。葉とは光合成をするために存在する。どうしてそれを内へ内へ重ねていくのか。まったくもって無意味なことではないか。

事実、今でもよくわかっていないらしい。あれだけ身近でよく知っている野菜のことですら、わからないことだらけ。まさに人生と一緒、ということだろう。

あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ/小野茂樹

夏にノスタルジーが似合うのはなぜだろう。

夏休みがあり、甲子園があり、帰省があり。永遠に続くと信じた、長く退屈なのにずっと浸かっていたかったあの日々。『涼宮ハルヒの憂鬱』とか、『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』とか、夏と永遠とかけがえのなさを紐付けた作品は数知れない。

「かぎりなき」「たつた一つの」は相反しているのに、なぜだか伝わってくるこの言語感覚がすごい。その表情は一瞬だが、そのひとつひとつは無限で無数の、どれもが大切な青春の思い出なのだ。

あさみどり花もひとつにかすみつつおぼろに見ゆる春の夜の月/菅原孝標女

薄緑色の空と桜の色がひとつになって、霞んでいる中に月が浮かんでいる。幻想的な春の情景描写が美しい。

「あさみどり」繋がりでもうひとつ。

あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな/明治天皇

こちらはうってかわってさっぱりと澄んだ「あさみどり」。澄みわたった大空のように広い心を持ちたいものだ、という意味。こちらもまた良い。

自作の歌にも取り入れてみたい「あさみどり」。綺麗な言葉である。

馬鹿げたる考へがぐんぐん大きくなりキャベツなどが大きくなりゆくに似る/安立スハル
キャベツが大きくなる様を歌った初めての作品だそうだ。

食べ物、野菜としてのキャベツでなく、形状、育ち方に着目した。言われてみれば納得だが、最初にやるから意味がある。いわゆる、コロンブスの卵だ。

意味的にも非常に取りやすい一首。今後不安が膨らむにつれ、この一首を思い出すことになりそう。

夏の風キリンの首を降りてきて誰からも遠くいたき昼なり/梅内美華子

誰からも遠くいたい昼。確かにある。

その気分に、「夏の風」「キリン」がよくマッチしている。おそらくは、日本から見て最も異国な空気感があるから、キリンという動物に、すべてのものを悠然と見下ろす様を感じるからであろう。

一度体験してみたい世界である。

にんげんの靴がつけたるホームの傷光さすときいちめんに見ゆ/吉野昌夫

NHKやカラオケの映像で見るような、たくさんの人が行き交う様子が目に浮かぶ。誰もが慌ただしく過ぎゆく場所に、人知れず確かな「傷」は残されていく。

都会の異様さの表れとでも言うべきか。刻まれたものは確かなのに、誰も気がつかない。その奇妙さを、静かに描いているのかもしれない。

あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな/藤原伊尹

哀れだと言ってくれる人も思い浮かばず、きっとこのままむなしく死んでいくに違いないのだろう。

冷たくなっていった女性に送った歌だそうだ。女々しさを感じなくもないが、ストレートに弱さを見せるのも、時には効果的かもしれない。

百人一首にある一首。

歎きつつひとりぬる夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る/藤原道綱母

嘆きながらたったひとりで寝る夜の、明けるまでの時間がどれほど長いものかあなたにわかりますか。いや、わかりますまい。

子供が生まれたばかりなのに、別の女性のもとに通うようになった夫。久々に訪ねてきた夫に対してしばらくは待たせておき、この歌を送ったというのだから、余程腹に据えかねたのだろう。

作者は蜻蛉日記の筆者としても有名。源氏物語にも影響を与えたそうだ。百人一首に入る一首。

名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな/三条右大臣

逢坂山のさねかずらよ、そのような名を持つさねかずらのつたを手繰って、人知れずあなたを連れ出すことができたらよいのに。

逢坂は人が会うことに掛かり、さねかずらは小寝(さね)に掛かる。「くる」は繰ると来るが掛かっている。

技巧にとんだ一首である。

初夏や紫陽花咲きぬ大理石なめいしの裸形の美女の像をめぐりて/堀口大学

詩人として有名な堀口大学の歌。モダンな薫りのする、歌人の作るものとは一味違う歌である。

個人的に好きな詩は「夕ぐれの時はよい時」。感情溢れる詩情がたまらない。

いまはあまり流行らない知的で高尚な物言いだが、教養はいつの時代も廃れない。恥ずかしがることなく、知的で高尚なものに憧れ続けていようではないか。

永らへばまたこの頃やしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき/藤原清輔

生きながらえたならば、また今のことが偲ばれるのだろうか。昔辛かった頃のことが、今となっては懐かしく思われるように。

不幸のどん底にいると、この世の終わりのような気持ちになるし、昔はどうだっただの、いつかどうなるだの、大局的に物事が考えられなくなるものだ。

それでも不思議なもので、何年か経った後に振り返ってみると、どうしてあの時はあそこまで思い詰めていたのか、もっと良い抜け道があったのにどうして思いつかなかったのか、たくさんのルートが見える。もちろん、すべてがそうではないが、ほとんどそう。

おそらくは、「今」辛い渦中にいる時に作られた歌なのだろうが、悲壮感はない。今の苦しさもあえて客観視してやろうとする、達観ぶりを感じとることができる。

あらゆる人の共感を呼びそうな一首。百人一首のひとつでもある。

春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山/持統天皇

春過ぎて夏が来たらしい。香具山では、夏になると真っ白な衣を干すといいますから。

からっとした夏がイメージされる一首。時期的にはもう少し後になるだろうか。

百人一首の2番目であり、覚えている人も多いであろう歌。最初の天智天皇の歌が湿っぽいのに対し、こちらは驚くほどからっとしているのは、きっと意図的なのだろう。

全体的に湿っぽかったり、鬱っぽかったりする百人一首の中では異例の明るさ。いろいろあるから、百人一首はおもしろい。

わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで/よみ人しらず
古今和歌集にある一首。現在の国歌の原歌でもある。

「君」は一般的な相手を指し、帝や主君に限らないそうだ。

わが君は、千代にも八千代にも(何千、何十万年も)、小石が大きな岩となり、苔がむすようになるほど長寿でありますように。

小石が岩に成長するという部分は、自然のものにも皆生命が宿るとするわが国古来の考えによる。

縁起の良い歌であり、これがそのまま国歌になっているのもすごいことのように思う。

ほととぎす鳴きつるかたをながむればただ有明の月ぞ残れる/後徳大寺左大臣

ほととぎすの鳴いたほうを眺めると、ただ有明の月だけが残っています。

ここでのホトトギスは空想のものだとか。聴覚に訴える上句から視覚に訴える下句へのスムーズさが見事。

無駄のないシンプルな構成で、意味が取りやすい一首である。

長からむ心も知らず黒髪の乱れてけさは物をこそ思へ/待賢門院堀河

ずっと私を思ってくれるのか、あなたの心がわかりません。黒髪が寝乱れているように、あなたと別れたばかりの今朝は心乱れて物思いに沈んでいます。

黒髪は日本人女性のシンボルであるとともに、白髪の対比として若さをも体現している。今でこそ「黒髪」はそのようなイメージがあるが、この歌の寄与するところも大きいとか。

百人一首に入る秀歌だ。

残業の部屋の明るさほしいままに己れを通す空間に居る/大島史洋

皆が帰ってしまった広い空間で、ひとり作業する作者。

寂しさとともに自由も感じられる独特の空気感が伝わってくる。

かくなる私も、昨日まで12連勤、かつオール残業の日々。任されているというやりがいと、押し付けられているという不平が同時に押し寄せる残業時間。生々しいほどに気持ちがわかる。

オフィス特有の「明るさ」にリアリティを感じる一首だ。

このページのトップヘ