短歌で随筆

一日一首、紹介&雑感。『フリックでコラム』の副ブログです。

風。そしてあなたがねむる幾万の夜へわたしはシーツをかける/笹井宏之

斬新な句点の使い方が非常に効果的だ。

風のイメージが歌全体に効いてきて、シーツがふんわりかかっていく雰囲気を作り上げている。

詩情たっぷりで、解釈どうこうよりもなにかを感じ取りたくなる短歌。短歌は詩のひとつであることを思い出させてくれる作品である。

賞味期限一年過ぎた缶ビール開けて注いで匂って舐めて/しゅろ

大のビール党である私は、ビールに賞味期限があることを知らなかった。

ビールの賞味期限は製造月から8ヶ月。買った瞬間から飲んでいく私にそれだけの猶予は必要ない。

この一年宴会がなかったせいで備蓄していたビールが賞味期限切れに。アルコールなんて腐らないだろうと、思わず貰い受けたのだ。そして冒頭の歌。

飲んだら感想言いますねと大見得を切ったが、いざとなるとおそるおそる。このあとどうなったかはご想像にお任せします。

かようにも切なくきこゆモーツァルト疲弊しきった我がたましひに/しゅろ

仕事でつらめな昨今。モーツァルトのピアノソナタを聴いていて、冷えて固くなった心が少しずつほぐれていくような気持ちになった。

モーツァルトの音楽は人の心の動きと似ている。たとえ明るい基調の音楽であっても、ふいに不安なメロディが現れたり、思い出したように別のメロディに変わったり。どんな人間にも明るいだけの人、暗いだけの人はいないように、モーツァルトの音楽は、明るい音楽の中に死を匂わせ、暗い音楽の中に救いを与える。

実にくだらない日々を送っているが、聴きたいときにいつでもモーツァルトを取り出せる今という時代に感謝したい。切り替えて、また頑張ろう。

「ココアでも飲む?」といふ声聞こえきて夜を明かすらし姉と弟/花山多佳子

子どもたちの会話を漏れ聞いた母親の立場から歌ったものだろう。

二人のやり取りを愛おしく思っていることがよく伝わってくる。取り立てて大きなテーマではないからこそ、そのなんでもなさがかけがえないものとして現れる。

なんでもなさを取り上げるというのは、短歌が担うべき使命のようにすら感じられる。いずれは失われてしまう今の当たり前を、永遠のものにするために。短歌は存在しているのだ。

雨のふる東京デ・ランド子らを率て傘かたぶけて行けばさびしや/岡井隆

夢の国ディズニーランドの力をもってしても、雨という現実の前に屈するのか。作者の生生しい気持ちが伝わってくる。

にしてもデ・ランドとは新しい。セ・リーグ(セントラルリーグ)、パ・リーグ(パシフィックリーグ)と同じ略し方で、あながち間違いとは言えないが、今は誰もやらない省略法だ。

共感を誘う内容に一癖ある表現方法。これぞプロの短歌である。

火も人も時間を抱くとわれはおもう消ゆるまで抱く切なきものを/佐佐木幸綱

時間を抱く、と表現してしまうセンスが素晴らしい。

「われはおもう」と、わざわざ一字多く表現しているところがポイント。われおもうだけでは弱かったであろう主張が、よりゆったり朗々と、時間を含んだものとなった。

ゆらゆらと揺れる炎を見つめていると、別の世界に移っていくような不思議な感覚に陥る。時間の伸縮を感じるのは、火そのものが時間を含んでいるからかもしれない。

一匹のナメクジが紙の政治家を泣き顔に変えてゆくを見ており/佐佐木定綱

雑誌か新聞紙かわからないが、政治家の顔を泣き顔に変えてゆくナメクジを淡々と見ている。

もちろん社会批判の意図はあるのだろうが、婉曲的な表現をとることで奥底からの強い怒りを感じる。

今の世の中、政治家に怒りをぶつけるだけではやるせないが、それが政治家の仕事でもあるから致し方ない部分はあるだろう。

せめて泣いてくれと、ナメクジに任せるほど我々は無力である。

体温計こころにあてれば平熱の低い人だとわれは言われむ/鈴木陽美

良く言えば平静、悪く言えば冷たいということか。

常日頃から感情の起伏少ない人物なのだろう。この歌自体、そんな自分をどこか他人事のように歌っているところがある。

ちょっと自虐めいた物言いが哀愁を誘う。ただ、そんな人が好き、という人もけっこう多いと思うけれど。

死ぬものと決めて嘆きし言の葉もここにのこりて年を越すわれは/上田三四二

医者であった作者は、一時期悪性の腫瘍に冒されて死を覚悟する日々だった。結果的に克服することになるが、死が隣にある人生は、作風に影響を与えないはずがない。

常に最期のつもりで生きる日々とは一体どのようなものであったか。絶望しながらも、どこか希望をすてていないように読める。そうでなければ、既に自死するか、短歌を残したりなどしないだろう。

悲痛な思いで残した短歌が今ここにあり、こうして誰かによって読まれている奇跡。感慨深いものがある。

鈴虫の鈴ふる声のをさなさやわがめとるべき時近づきぬ/穂積忠

鈴虫のか弱い音色をまもなく迎える妻の姿と重ねる。見合い結婚の時代の期待と緊張が透ける一首だ。

ちなみに、鈴虫は秋の涼しげな風物としてよく取り上げられるが、実際に飼ってみるとその音量の凄まじさには絶句する。

かつてたくさん飼っていた者からすると、鈴虫は決してか弱くない。大音量で自己アピールできるたくましい生き物だ。

別にそのイメージから、この一首を解釈しようというわけではない。いや、決して。

失恋の〈われ〉をしばらく刑に処す アイスクリーム断ちという刑/村木道彦

仰々しい物言いと、若さゆえの稚拙さ。アンバランスさが非常に計算されている。

感傷的なテーマをおさえの効いた表現で描いたことでリアリティーが生まれている。絶妙な苦味がある一首だ。

極東のスペイン坂のかたすみにわれ泣きぬれず雨に濡れゐつ/仙波龍英

スペイン坂は渋谷にある細い路地。

この歌が啄木の歌のパロディになっているのは一目瞭然。啄木短歌にあった情緒は時を経て、「スペイン坂」という俗なものに置き換えられ、もはや泣くには至らない。

渋谷という街の俗物感は一周回って文芸や音楽、アートと親和性が高い。最近ヒットした『夜に駆ける』にも渋谷が出てくる。

エモさとは対極にある場所、渋谷。そんな場所で雨に濡れるだけの姿は、アンチエモとしてかえってエモいのである。

夕雲にいま生まれたるひかり乗りかく間近にてきみを失ふ/小野茂樹

青春の喪失感を歌わせたらこの人の右に出る者はいないのではないか。

経験したこともないのに、強烈なノスタルジーを感じる。それだけ力のある作品だ。

SFチックな幻想を含んだ美しいシーン。『かぐや姫の物語』のラストシーンを思い出した。永遠の喪失がそこにはあるのだ。

もし君と結ばれなければ月のでる夜にだけ咲く桔梗になろう/岡しのぶ

天性の感覚で書かれたとしか思えない魅力的な歌。

普通の素人がやろうとすると、どうしても作為性が入るものだが、この歌にそのような力みはみられない。

失恋からの飛躍がすごい。百人一首顔負けのドラマチックな恋。やはり短歌という形式に恋歌はよく似合う。

愛こめてどうか不幸であるように君無き春の我無き君へ/吉野朔実

ポジティブとネガティブを同時に混ぜ合わせて、深みのある内容を持った一首。

失恋を歌ったものであろう。倒錯した思いがそのまま現れている。

ひどいことを言っているようだが、「愛こめて」いることからは完全に断ち切れたわけでもなさそうだ。陰と陽、長短味わいつつ、人は生きてゆく。それしかないし、それがすべてである。

「あ、妬いた?」「何を? しいたけ? 炒めたわ」「ふうん、そうかあ」「なにがそうかよ!!」/本下いづみ

嫉妬が題詠。コントのような充実感だが、きちんと短歌の枠組みに収まっていておもしろい。

きちんと男女の駆け引きまで組み込まれている。簡単に作れそうで、意外とテクニカルな歌である。

ひとり来て観音裏の路地町の「割烹ちぐさ」に酌まむと歩む/島田修三

割烹ちぐさという固有名詞がリアリティーを生んでいる。

行きつけの飲み屋を持つというのは、大人の証のひとつではないだろうか。あいにくコロナ禍の状況だが、収束した暁にはどこかしら行きつけの飲み屋をつくることを目標に生きていきたいものだ。

泳ぎ来てプールサイドをつかまへたる輝く腕に思想などいらぬ/松平盟子

プールで泳ぐ男性を見ているのか。水しぶきを上げ躍動する肉体を見て、作者は強烈なリアリティーを感じたのだろう。

生命の素晴らしさ、生きていることの実感は小難しい理論から得られるものではない。

普段は思索にふけることが多いのだろう。だからこそ、頭の中だけの世界の限界をひしひしと感じ取っているのである。

ワイヤレスイヤホンで聴く天上の調べは未だ天上にあり/しゅろ

久しぶりにモーツァルトを聴いている。かつて聴いていたときよりも沁み渡っており、特にクラリネット五重奏の至高を再認識した。

ガチなクラシックファンには怒られてしまうかもしれないが、私はわりと聴ければなんでもいいと思ってしまうタイプだ。もともとオーケストラにもいたので、そもそも生演奏には敵わないというベースがある。オーディオ機器を揃えるほどに良い音楽になるのはわかっているが、あとは割り切りの問題だ。

そんなわけで、ワイヤレスイヤホンでもがんがんクラシックを聴く。モーツァルト晩年の傑作、クラリネット五重奏を流したのだが、あまりにも良すぎて泣きそうになった。歳を重ねるごとにこの曲が魂に響いてきている。聴くごとにこの世のものでなさがわかってきたのだろう。

モーツァルトの時代から250年。今や音楽は手元、耳元にある。それでも、モーツァルトの音楽は今でもはるか天上のものに感じるのである。

電話メモの紙片いくつも貼られあり欠勤つづく男の机/吉川宏志

職場の一コマである。

欠勤が続いている男性社員宛にメモが溜まっていく。彼に何があったのかここからはわからないが、おそらくは精神的な病であろう。

そんな彼に対して、容赦なくかかってくる電話。つい先日までは社内でもエース格の存在であったに違いない。電話メモが溜まってくるくらいには、直前まで活躍していたのだ。

バリバリやっていた(であろう)からこそ、居なくなったときの影響が大きいのである。電話メモだけが溜まっていく。だからといって、他の人が対応するというわけでもない。ひとりで関われば関わるほど、他の人は手出しできなくなるもの。

日本社会の暗部をみるような歌である。

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